『情報コミュニケーション学』のオムニバス授業(3)

私がコーディネーターを務める『情報コミュニケーション学』の授業は、“多様な視点からアメリカ社会、文化について理解を深める”ことを目的としています。今年度は全14回のうち、7回分について、外部の先生に講義をしていただくことになっています。ここではその授業のご紹介をさせていただきます。

 

2019年7月17日実施、佐藤彦大先生(岩手大学特命准教授、東京音楽大学講師)

テーマ「演奏を通じて聴く:ラフマニノフとアメリカ社会の出会い」

 

今回の授業は、いつもの講義形式とは違って、ピアニストの佐藤彦大先生に、演奏と講義を組み合わせた形式で行っていただきました。

 

なぜ「アメリカ社会、文化を知ること」がテーマの本授業でラフマニノフが出てくるのか?学生の中には不思議に思った人も多かったと思います。ロシアの作曲家というイメージが強いラフマニノフですが、ラフマニノフは1917年のロシア革命をきっかけに、1918年にアメリカへ移住し、1943年に亡くなる少し前にアメリカの市民権を取得しました。人生の三分の一ほどをアメリカで過ごし、アメリカ社会でピアニストとして大活躍し、大歓迎されました。アメリカ社会と大変深いつながりのあるロシア出身の音楽家です。それがこの授業でラフマニノフを取り上げることにした理由です。というような説明を事前に学生にした上で、外部の講師をお招きできるオムニバス授業の利点を生かして、演奏と講義を組み合わせるという初の試みを企画しました。

 

授業では、事前に佐藤先生と打ち合わせをして、「ラフマニノフとアメリカ社会の出会い」に関して3つの問いを立てました。

 

  1. ロシア出身のピアニスト、作曲家、指揮者であるセルゲイ・ラフマニノフはアメリカにどうしてやってきたのか?
  2. 「移民」のラフマニノフはアメリカでどのように暮らしたのか?
  3. アメリカの聴衆(社会)はラフマニノフをどのように受け入れたのか?

 

佐藤先生は授業のオープニングに、ラフマニノフが1918年に編曲したアメリカ国歌「Star-Spangled Banner(星条旗)」を演奏されました。日ごろの授業でもアメリカ国歌について私は学生に紹介しているので彼らにも馴染みのあるアメリカ国歌ですが、先生は、「ラフマニノフがアメリカへ移住後初めての演奏会で「星条旗」を演奏した」というエピソードをお話しされました。先生の演奏は、ラフマニノフがアメリカ国歌の編曲版を披露した演奏会の場面を彷彿とさせるようでした。

 

続いて、佐藤先生によるラフマニノフの生い立ちについての講義が進みます。先生も学ばれたモスクワ音楽院でのラフマニノフの学生時代の話から1909年に初めてアメリカへ演奏旅行に行った際の話へ。私は、ロシアからアメリカまで長い船旅の中、ピアノの練習はどうしたのだろうか、と思っていたのですが、佐藤先生によれば「音の出ないピアノで練習していた」そうです。先生は解説と組み合わせて、ロシア時代のラフマニノフの作品として、「前奏曲op.3-2 嬰ハ短調」や「絵画的練習曲『音の絵』op.39-5 変ホ短調」を演奏されました。

 

さて、講義はアメリカでのラフマニノフの生活へと続いていきます。

ラフマニノフがロシア革命から逃れてアメリカへ移住してきたころ、アメリカ社会は第一次世界大戦の後で好景気に沸いていました。ですが、移住したばかりのラフマニノフはとても貧しい状況にあり、アメリカで家族に貧困で苦しい生活をさせないために、「作曲家、指揮者、ピアニスト」の3つのキャリアのうちどれを続けていくのが良いのか選択することになります。ラフマニノフには指揮者のオファーもあったそうですが、結局ピアニストとして活動する決意をします。アメリカでは熱烈な歓迎があり、スタインウェイと契約をしてスタインウェイアーティストになりました。ちなみに、この授業で使用したピアノもスタインウェイのものだったので、先生は学生にスタインウェイのピアノの特徴についてもお話しされました。

 

その後のラフマニノフはアメリカで精力的に演奏活動を続けていきました。アメリカ社会で受け入れられた足跡としては、たとえば1922年にネブラスカ大学から名誉博士号(Doctor of Music)を授与されたり、1924年にホワイトハウスに招待されてクーリッジ大統領の前で演奏をしたりしています。

 

しかし、ロシアへの望郷の念が強かったラフマニノフは、アメリカで暮らしていても祖国へ送金をしたり、妻の家族や祖国の貧しい人々に支援を続けたそうです。アメリカに移住してからは多忙な演奏活動によってなかなか作曲をすることが難しかった中で、授業の最後に佐藤先生が演奏された「コレルリの主題による変奏曲op.42 ニ短調」は1931年に作曲され、ピアノ独奏曲として最後の作品になりました。

 

佐藤先生の授業は、このように、ロシアからアメリカへ渡ったラフマニノフの人生の解説の間に、その人生に沿うように、ラフマニノフの作品を組み入れて演奏していくスタイルでした。個人的には、「ピアノソナタ2番op.36 変ロ短調」のように大曲を弾かれても、講義と演奏に全く切れ目がなく展開されていく先生の集中力とパワーに圧倒されました。また、隣で譜めくりをしていると、コンサートと違ってピアノの低音部の振動が舞台の床を通じて伝わってくるのを感じ、驚きました。特に最後の「コレルリの主題による変奏曲」はそのもの悲しさと重々しさ、激しさを目の当たりにさせていただき、改めて先生の演奏するピアノの美しくも深い響きに感銘を受けました。

 

後で学生の反応を見ると、「佐藤先生の情熱的で素晴らしい演奏にラフマニノフの当時の気持ちが忠実に伝わってくるようでした」というコメントに代表されるように、先生の演奏を通じてラフマニノフの作品や人生が凝縮して学生の心に届いたようでした。クラシック音楽に興味を持っていなかった学生から、ピアノを習っていた学生、ラフマニノフが一番好きな作曲家だという学生もいて、学生の音楽経験は実に様々ですが、どの学生にも先生の演奏と講義は大好評でした。

 

通常の授業の形式とは違う企画に快くご協力いただいた佐藤先生に心より感謝しております。どうもありがとうございました。

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